| カナダ ・ アメリカ ・ メキシコ 40000kmのドライブ旅行記(1995) | |||||||||||
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カナダ・アメリカ・メキシコの旅は1995年5月から始まりますが、それまでの事を少し説明します。
私はワーキングホリデーで前年の1994年9月にカナダ(バンクーバー)に入国。その当時ワーキングホリデーができるのは、オーストラリア・ニュージーランド・カナダの3ヶ国でした。
最初の2ヶ月間は英会話学校に通っていました。学校は日本人が半分、後はメキシコ・韓国・台湾・スペイン・ドイツ・中国などです。一緒に旅行に行くことになったのは、この学校で知り合った3人(男1人・女2人 全員日本人)です。学校に通っている間はウエストバンクーバーでホームステイしてました。
その間に仕事探してあちこち行きました。グレイハウンドバスでバンフ・レイクルイーズ・カムループスなどにも行きました。宿泊はユースホステル利用です。結局ウィスラーのビレッジ内のショップで働くことになり、11月中旬から翌年5月上旬まではウィスラーでの生活です。一緒に旅行に行くことになる3人、M子はウィスラーにM男とS子はバンクーバーで生活してました。
ウィスラーにいる間にスキーインストラクターの資格レベル1や国際スキー技術検定のゴールドバッチ(日本のSIA)も取得しました。シーズン中100日以上は滑ってました。スノーボードも1週間くらいしたかな?フリースタイルのワールドカップも行われているのでまだ高校生だったモーグルの里谷多恵にも合いました。(まだ長野オリンピックの前だったのであまり知られていませんでした)
その間に山(ウィスラー)を降りてから何をしよう?何をしよう?と考えていて、M男がウィスラーに来た時に私が『車を買ってアメリカを横断したい(最初は1周という考えはなかった)』というと、『それじゃー、一緒にあちこち旅行にいこう』という話になりました。M子とS子も同行することになりました。各自行きたい所を出し合いあとは、ルートは決めないでの旅行です。M男とM子はバイタリティーがあるが、S子はおとなしい女の子だったので大丈夫か?と思っていたが、4人の珍道中となった。
車は私が15万円くらいで4月にバンクーバーで購入した。4�箸離咼紂璽ぅ奪�だったが、アクセルべた踏みしても走らない車だった。
旅行中に何かあると不安なのでCAAに加入した。(日本でいうJAFである)日本でJAFに加入していると、CAAのロードサービスも受けれるが、入国して3ヶ月以内の旅行者だけである。
ワーキング・ホリデーについて説明しておく。社団法人日本ワーキング・ホリデー協会 のHPより一部抜粋です。
ワーキング・ホリデー制度制度は、二国間の協定に基づいて、最長1年間異なった文化の中で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を補うために 付随的に就労することを認める特別 な制度です。
観光ビザ・留学ビザ・就労ビザとは異なった、若い人向けの特別な渡航のためのもので、どこに滞在し・どこを観光するか、旅行はどうするのかなど、自分一人で考え、行動することが求められます。そして、ワーキング・ホリデービザは滞在資金を現地でのアルバイトで補うことが 認められている点が、他のビザとは大きく違う特色です。 もちろん、制度の主旨として仕事を主たる目的とすることは出来ません。 また、各国ともビザの発給は一生に一度で、人数制限のある国もあります。
対象者は日本国籍の日本に在住している18歳から30歳までの人です。(一部の国は18歳から25歳まで)私が申請した時カナダは25歳まででしたが、その時すでに私は25歳は超えてました。対象国は現在下記の7ヶ国です。
○オーストラリア(1980年12月1日開始)
○ニュージーランド(1985年7月1日開始)
○カナダ(1986年3月1日開始)
○韓国(1999年4月1日開始)
○フランス(1999年12月1日開始)
○ドイツ(2000年12月 1日開始)
○イギリス(2001年4月 16日開始)
という考えがワーキング・ホリデーにある。年をとってからは無理であるし、貴重な経験である。今思うと、学生時代に休学してワーキング・ホリデーに行くのがBestかな。